萌えのかたち

ずっと友達に貸しっぱなしだった「電波男」が、彼の引越しに伴い返却されました。で、改めて読んでみたのですが、自分の萌え観、恋愛観が他人のものとかなり違うことに気づきました。ちょっと考えてみます*1

本田透氏によると*2、キャラクターに萌えるということは、そのキャラクターとの恋愛を妄想するということだそうです。実際、ネット上を見ているとこのキャラと具体的に何がしたいかが生々しくつづられているのをよく目にします。しかし、僕自身の萌えを考えてみると、たしかに萌えるキャラは何人かいるのですが、彼女たちに思い描くことは「友達になりたい」とか、「じっと眺めていたい」といった、到底恋愛には及ばないものです。また、恋愛というのは性的なところまで行き着くので、そこから派生した萌えとエロが結びつくこともありがちなのですが、僕は以前書いたように、エロはエロ単体でいいと思っています。

これは何でだろう、と考えていくと一つの事実に思い当たります。小学校時代、同じ学年で同じ塾に通っていた女の子がいました。後から考えれば(その頃から)好きだと思っていたと推測されるのですが*3、当時はそのことに自分自身で気づかないくらい、感情の発育が遅れた子供でした。

中学に入ると、男子校だし塾にも行かなかったので、(業務中の人以外で)出会う女性は家族・親戚だけという状況が続き、当然ながら恋愛をすることなどありませんでした。しかし、クラスでさえオタクだらけなのに鉄研に行けばさらに濃度は高く、そこには何かに萌えている人がいたわけです。なんとなく意味を理解していったのですが、「萌え」という語はキャラ以外にも使えるので、恋愛感情がいまいち理解できないような状態でも萌える感覚が先に身についてしまいました。しかも、ベースとしての恋愛が無いので、性的なものとのつながりも切れてしまいました。
高校生になって、他人を好きになる機会が出てきましたが、実際に抱いた感情は恋愛感情というより、どちらかといえば萌える想いでした。これは恋愛感情が身についていなかったので、先にあった萌えを借りてきた形になるのですが、その結果恋愛からも性的なものが排除されてしまう、つまり性別を越えて好きになってしまうようになりました。これはなんというのだろうと思っていたのですが、同性愛や異性愛というのは性的な側面を当然含んでいます。僕の場合には、感情の上では誰でもかまわないのですが、性的な意味での好みについては本人にもよく分からないので、判断を保留しています*4

*1:この文章中の考え方自体、当たっている保証は全くありません。

*2:というかある程度は共通理解として存在すると思いますが

*3:意識して、わざとちょっと遠ざかっていました。

*4:わかる機会は当分来ないと思います。