価値と洗脳

この文章を読んでいる皆さん、あなたたちは既に洗脳されている。


最初の脅しはちょっと強烈かもしれませんが、下を見れば分かるかもしれません。

らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら
らららららららららららららららららららららららららららららららら

どうです、「文字には音がある」という洗脳から外れた自分が自覚できましたか?*1 こういうタイプの洗脳は社会生活を送る上では絶対になくてはならないのですが(いちいち文字を見て「なぜこう読むの?」などと考えていては意思の伝達なんて不可能になる)、他にもそういう実例はいろいろあります。

もう一つ分かりやすい例として、手元にある千円札(じゃなくてもいいけど)を取って見てください。人の顔と「千円」と書かれたこの紙が、なぜ千円の価値を有するのか、そもそも円の単位が何を以って「1」とするのかなどなど、貨幣というパラダイムから脱してみると疑問だらけになってしまいます。つまりこれも、日本国民の(ほぼ)すべてが「円」というものに対して同じような認識を持っている、極端に言えば洗脳されている訳です。このように貨幣価値は人の意識によって支えられているからこそ、意識が変わればインフレやデフレといって簡単に変動してしまうのです。

貨幣に限らず、「価値」というものはたいていの場合、誰かにそう信じ込まされているものなのです。一番目立つのはファッションブランドで、そのブランドのものを身につけることで「周囲からある特定の形で*2認識を受ける」とつける本人が信じているからこそブランドとして存在しえるのです。ファッションブランドの価値はいわば、本人と周囲の共同幻想なのです。だからこそ広告によってイメージを操縦するという販売戦略が成立します。

*1:専門用語ではこれを「ゲシュタルト崩壊」というそうです。

*2:センスがいい、美しい、などなど